読み易い様に目次を作成しましたので是非ご活用下さい
- 1. 生い立ち(学生編)
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- 1-1.親の後を継ぐための学生生活
- 1-2. 就職した会社を半年で退職
- 1-3. 起業を決意するも...
- 2. 生い立ち(サラリーマン編)
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- 2-1.金髪起業家との出会い(現youtuberヒカル)
- 2-2. 就職した会社を半年で退職
- 2-3. 起業を決意するも...
- 3.生い立ち(独立編)
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- 3-1.独立そしてマイホーム
- 3-2.マイホームの失敗
- 3-3. 独立してからもう一軒
- 4.家づくりへの想い
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- 4-1.アパートからのマイホーム
- 4-2.kadodeliving始動
- 4-3. kadodelivingは何よりも楽しく仕事を致します
・・・
1-1. 親の後を継ぐ(超える)ための学生生活
僕の親はエアコンの取り付けや電気工事等を専門に扱う職人です。
今は7人程の社員を雇い小さな会社を経営しておりますが、私が中学生くらいまでは父親1人で作業を行う所謂一人親方でした。
そんな父親の仕事をする背中を見て「将来は自分が跡を継いで父親の事業を大きくしたい」そんな考えが中学生くらいの頃には固まっていました。
しかしこれは今思えばですが、自分でやりたい事も無く家族や親戚から認められる為の手段として跡を継ぐという方法を取ったのだと、そう思っています。
何故なら子供の頃の自分は父親に対してあまり好意は無く、母親に対しての態度や言動が正直好きではありませんでした。
特に「誰の金で飯が食えてると思っているんだ!」という言葉が大嫌いで
自分が所帯を持つ時にはこの言葉だけは言わない人間で有りたい
そう強く自分の心に誓ったキッカケにもなりました。
とはいえ、父親に対して人間としての嫌悪感は持ちつつも仕事の面では確かに独立をして生活が出来ているという点に置いては尊敬に値していたので、その父親を超える為にも会社を継いで自分が更に規模を大きくする事でそれを証明したいと思っていました
1-2.就職した会社を半年で退職
高校生の頃には、父親の会社を大きくする為にはどうしたら良いのか、そんな会話が家庭の中でも出るほど、僕自身は会社を継ぐ気満々でした。
その為に必要な資格を調べ、資格取得の為の大学進学まで決めて...と
ここまで言っていると割と順風満帆な感じがしてしまうのですが、正直勉強は嫌いでしたし、資格取得も甘く見ていました。
大学もわざわざ理系の大学に進学して、毎日意味の分からない実験をしてレポートを書いて、授業に参加してと...
大学時代を振り返ると正直時間とお金を無駄に浪費しただけで全く役に立たなかったなと感じます。
友達や人生経験の為にと親や学校の先生は言いますが、はっきり言って僕自身は全くの無駄だったとハッキリ言えます。
もちろん僕自身の学生生活の取り組み方や、勉強への目的意識がそうさせたのは間違いありませんが
やはり自分のやりたい事にしっかりと向かい合って、そこに対して勉強していくべきだったなと今では後悔しています。
それがはっきりと形になったのは大学を卒業して、地元群馬のサブコンに就職して半年が経った頃でした。
ちなみにサブコンとはゼネコンの下に位置する建設会社で、一棟のビルを建てる計画があった場合
頭(元受)としてゼネコンが入り、その設備関係の仕事を請け負うのがサブコンとしての仕事です。
父親の会社はエアコン等の空調設備、また電気工事を主に行う為
ここに就職して現場監督としてキャリアを積むのが一番早いという結論からこの会社に入社しました。
しかし僕はあくまで父親の会社を継ぐためのプロセスとしてこの会社に入社した為、業務内容をあまり深く調べずに入社してしまったんです。
これが僕の中で大きく後悔している事の中の1つです。
僕は「楽しく無いと続かない」「続けても意味が無い」という考えを持っておりまして
正直このサブコンでの仕事、所謂現場監督としての仕事は全く面白くありませんでした。
仕事内容もそうですが、人間関係というか周りの職場仲間、先輩方も昔堅気の職人というか
まず口が悪い、話しの内容の9割は誰かの悪口、会社への不満、愚痴
会社や現場にいるのが本当に嫌でした。
そしてこんな仕事を続けるのは自分には無理だ
そう判断しました。
入社後3カ月の研修を経て配属されたので現場に出て2ヵ月弱、ハッキリ言って何もわかってないのに何を言ってるんだ
1年くらいは頑張ってみろよ
今辞めたら絶対後悔する
そんな言葉を掛けられるも自分は頑として聞かず、退職届を提出しました。
1-3. 起業を決意するも...
会社を辞めると決意したキッカケの1つに「起業」がありました。
自分は父親の会社を継ぐために就職した為、その会社に就職しました。
しかしそもそも父親の会社の仕事内容に対しては正直殆ど調べていなかったのです 汗
今思うと相当無謀で無計画過ぎて呆れてしまいます。
恐らくですが、「職人」という世界というより、「昔堅気の価値観を持つ人間が多くいる職人の会社」に馴染めなかったんだと思います。
会社を辞めるという考えを固めた僕は次にやることを決めなくてはいけなかったので会社にいる間全力で「稼げる」ものに対してアンテナを張り全力でネットサーフィンに勤しみました(笑)
しかし当時は何をして良いのか全く分からず、やりたい事も全く見つからず途方に暮れ日々を過ごしていました。
そんな中ある日目に留まった「PC1台で月収200万円」
ここから僕の起業を目指す奮闘撃が始まります
2-1.金髪起業家との出会い(現youtuberヒカル)
会社に縛られず、勤務時間に縛られず、搾取されない
そしてインターネットを使う事で日本中どこにいても仕事が出来る
そんな夢のようなストーリーに僕は引き込まれました。
当時は純粋(?)でこのHPに書かれた内容を一切疑わず、この人の言う通りやれば自分でもPC1台で月に100万以上稼ぐ事が出来るかもしれない!!
そんな期待を胸にこの金髪起業家のメルマガに登録し、やり方を細かく教えて貰いました。
実はこの金髪起業家を名乗る者こそ今ではネットですっかり有名人になったyoutuberの「ヒカル」です
当時から金髪起業家ヒカルと名乗っており、肩書こそ変えていますが、「ヒカル」という名前と「金髪」というスタイルは一貫しています。
ちなみにその当時のインターネットビジネスというのは、ブログを書き、そのブログにアクセスを集め、グーグルのアドセンス広告で広告料を貰うという手法でした。
youtubeの広告料も同じアドセンスという報酬なので、youtuberってブロガーが記事では無く動画を配信する様になっただけなんですよね。
しかしこの技術や仕組みが当時SNSもフェイスブックとTwitterしか無かった時代、youtubeも広告が付かない様な時代だったのでアクセスの集め方や個人をネットでブランディングしていく方法等かなり参考になった部分があります。
しかしネットビジネスの行きつく先は、そのグーグルアドセンスで稼げるようになったら、そのノウハウを別の誰かに売る事でコンサル料を貰うという詐欺に近い物でした。
僕はアドセンスではそこそこに稼げましたが、その稼いだ実績を売るというのには物凄く抵抗があり、これも先々考えた時には、やはり長く続けることは出来ないだろうと考え、このネットビジネスも3カ月程で脱退しました。
2-2.不動産業との出会い
ネットビジネスを脱退するにも生活をしていかなければいけない
その為にはお金が必要
だけども今回もやりたい事は見つからない
途方に暮れた僕は逆に好きな事から仕事を見つけてみようという発想にいたり、自分の好きな事、好きな物を書き出してまとめて行きました
うろ覚えですが、当時書いた内容はこんな感じでした
・犬
・散歩
・読書
・考える事
・漫画
・家
・テニス
他にも書いたと思いますが、思い出せるのがここまでで
その中から仕事に出来るとしたら「犬」くらいで
取りあえずペットショップでアルバイトを始めてみる事にしました。
実家にもチワワが2匹いて犬、猫等の動物は好きだったので仕事内容がお世話と販売だったので特に無理無く続けられるなと当時の僕は思っていました。
しかし、アルバイトの為どんなに働いても月給12万くらいで全然稼げなく、内容は問題無いけれど、経済的に続けるのは厳しいという結論に至りました。
なので次に派遣の携帯ショップを経験し、これもやはり業務内容が全く面白く無く、続けるのが厳しいと判断し、1ヵ月で退職。
そして携帯ショップで働きながら就職活動を行い、不動産業に出会いました。
不動産業を選んだキッカケは単純に「家」を見るのが好きだから
家という建物が好きだし、家を選ぶお手伝いと考えれば長く続けらるのではないか?
という浅い考えです。
しかしこの浅い考えが見事にハマり、天職なのでは?と思う程ストレス無く働く事が出来ました
2-3.2度目の起業を決意
不動産業に就職して1年が経つ頃、僕は宅地建物取引主任者(現在の宅建士)の資格を受ける事に、上司に進められた事も有りましたが、会社として報奨金を出すというキャンペーンを丁度やり出したので、受験してみよう!と思い立った訳です。
どうせ落ちるだろうと思って臨んだ試験でしたが、何とギリギリ合格!!
まさか受かるとは思わず自分自身でもかなり驚きました。
この頃には仕事内容にも慣れ、営業成績もそこそこだったので楽しく仕事が出来ていたと思います。
宅建士を取得し、営業所でも上位の成績を収めらる様になってきた頃やはりもう一度起業に挑戦したい
そんな想いがまたふつふつと湧いてきました。
これが社員歴2年の頃です。
しかし今回は仕事内容も特に問題無く楽しく出来て、職場環境的にもそれほど問題も無く
また経済的にも当時25歳では周囲と比べてもかなり高い賃金を貰っていた為、今度は起業してこれを超える事が出来るのか、という不安と戦う様になります。
当時25歳で年収500万円以上貰っていて、僕自身は特に残業する事も無く、休みも完全週休2日
正直この条件を捨ててまで挑戦する価値が有るんだろうか...
ですが起業の夢は捨てられず、成功する為にどのようなことをすれば良いのか
本やネットでの情報収集はもちろん忘れずに行っていました。
こんな事をまた1年程続けていたある日とあるテレビに目が止まります
「チャンネル登録者190万人!人気youtuberのお金事情とは!?」
内容は当時youtuberが流行りだし、その稼ぐ驚くべき金額に世間がざわついていた時期のテレビ番組だったので、珍しくも無かったのですが、そこに映っていた人物に僕は驚きました。
そう、当時金髪起業を名乗っていたあの「ヒカル」だったのです。
僕が3年間サラリーマン生活を送っていた間に彼は、起業家として億を稼ぐまでに成長していたのです。
しかしネットビジネスの事があったので彼が言う稼いだ金額というのは恐らくかなり盛った数字であって実際はそんなに稼いではいないだろうと思っていたのです。
というのもネットビジネスを行っていた3カ月の間に実際に彼と会う機会があり、愛知県の名古屋市まで車を飛ばしたのです。
当初から彼とは何度もskype(当時はLINEでは無くskypeが主流)でテレビ通話をして稼ぐ為のコンサルをして貰っていました。
ですが実際に会った時に直接彼に言われたのです。
宣伝している金額なんて稼いでいないし、稼げるとも思っていない。と
なのでネットビジネスは詐欺だとハッキリ言えるのです。
余談ですがネットで○○万円稼げますという人の100%がその金額稼げていないので注意して下さいね。
本当に稼いでいたら税務署に目を付けられるので面倒なだけです。
話がそれてしまいましたが、このテレビを見て僕はこのヒカルに負けたくない!という想いから1日も早く起業して彼を超えたいと思うようになりました。
3-1.独立そしてマイホーム
独立を決意してから家族に報告したのですが、思った程の反感も無くあまり話合いをする事もありませんでした。
むしろ僕の親と一緒の二世帯住宅を建てようという計画があり、そちらの話が優先されてしまいました。
家を建てるときには住宅ローンを組んで購入という形になります。
二世帯住宅の場合は連帯ローンという言わば2人で住宅ローンを組む形になりました。
僕の場合は父親と僕の二人でローンを組む必要があり、その審査の関係上、審査が通るまではサラリーマンは辞められないという結論になってしまったのです。
ですので独立の計画を少し遅めて勉強に専念しました。
その間も家の計画はドンドン進み着工まで時間も掛かりませんでした。
二世帯住宅といってもリビング1つの家だったので、一般的な二世帯住宅では無く、普通の家より少し大きい家って感じでした。
拘ったのが、30帖近くのリビング、リビングイン階段、シューズクローク、そして天然芝を入れた庭
施工会社は従弟が大工だったので従弟に任せ値段もかなり安く建てて貰いました。
外壁も当時最新の汚れを洗い流してくれると言う外壁を取り入れ、感覚的にはかなり満足の行く内容でした。
実際僕の家族も大満足でしたが、やはり住んでくると失敗というのが見えてくるんです。
3-2.マイホームの失敗
ついに念願だった独立を果たし忙しく日々を送っていた頃
チラリチラリと家作りの失敗が見えてきました。
まず一番最初に気づいたのが「リビングイン階段」でした。
見た目とリビングを通らなければ2階に行けない為コミュニケーションが増えると言われているリビングイン階段ですが、
これは音響まで計算して設計しないと2階にいるのに1階の声が丸聞こえ、下手をすれば1階にいるより2階の部屋の中にいるときの方がはっきりと声が聞こえる状況でした。
例えば子供が1階で騒ぐと2階で寝るのが厳しいくらいに声がハッキリ聞こえるんです。
音量としては、朝子供が愚図り出し泣き出すとその泣き声が2階中に響くのでとても寝てられない程でした。
またリビングを広く取り過ぎたのとリビングイン階段にした関係で2階の冷たい空気が1階に全部降りてきてしまって、1階がとにかく寒い。
これも原因はリビングイン階段にあるかなと思いますが、朝の1階のリビングはほぼほぼ外と変わらないレベルでした。
これは改善として窓の大きさを小さくしたり樹脂窓にすれば改善出来たかなと今となっては思います。
他にもお風呂を2つ作ったのですが1つ目のお風呂が大きく、こちらをメインとして使用していたのですが、無駄に大きいユニットにしてしまった為、やはりこれも寒い。
お湯もすぐ冷えてしまうし、洗い場と脱衣場の気温がかなり寒かったです。
これも窓を樹脂窓に変更してしまえばある程度は改善されるとは思います。
窓をペアガラスにしていても実はアルミ冊子の窓ですと正直寒いです。
この辺りも部屋を広く取りたい場合の断熱対策として取り入れたい所だと思います。
他にも
・キッチンのコンセントが足りない
・給湯器の自動水栓の付ける位置が遠い
・窓のサイズが無駄にデカい
・自分専用の書斎(3畳くらい)を作ったがほぼ使わない
・エアコンの容量を間違えた
等々
上げればキリがないかもしれません 汗
3-3.独立してからもう一軒
独立して不動産業を行ってから3年の月日が経った頃(独立直後はcafeをやってました)
に二世帯住宅を辞めて僕ら家族は別の家を建てようという計画がありました。
理由としてはやはり二世帯の難しさと言いますか、家事や育児での方向性の違いだったり、価値観の違いという所でしょうか
僕は自分の親だったので特別不満はありませんでしたが、中々全てが全て上手くいくとはなりませんでした。
事業の方も軌道に乗っていたので二世帯住宅から独立する事が決まりました。
子供の小学校にも近いエリアに変わるので家族事を考えればそうした方が良いのかなと思ったのが決定的でした。
また、二世帯住宅を造った経験を生かして、以下の事を決めました。
・広さよりも導線重視
・二階の部屋は広くするよりも1階のリビングにどれだけ子供がいられるかを重視
・階段はリビングインでは無く廊下に付ける
・和室よりもパントリーを付ける
・シューズクロークは玄関直では無く一度上がってから行ける様にする
・カーポートは付けずに庭を広めに
・天然芝では無く人工芝
家を建てるときは広い家=良い家みたいな所がありますが、お金もかかる上にとにかく熱効率が悪いです。
どんなに頑張っても温めるのも冷ますのも広ければ広い程効率は悪くなります。
ですので自分が快適に過ごすにはどうしたら良いのかを徹底的に追及し、そこにフォーカスした方が無駄なお金は掛からないと思います。
例えば僕の事例でお話をしますと、書斎を作ってそこで仕事をしようとしたのですが、周りに物(漫画や書籍等)を飾り過ぎて、逆に集中力を削がれてしまったりしました。
他にもリビングを広く取った所で結局いる場所はダイニングテーブルにずっと座っているという事
つまり、あまり広さは関係無い事も分かっていたので、だったらその分狭くして熱効率を上げた方が快適に過ごせるという事
狭くした分金額は下がるのでその分キッチンのグレードや玄関扉のグレードを上げた方が遥かに生活水準を上げられるという事
恐らく20代で家を2軒建てた経験というのは恐らくですがかなり希少だと思いますので、成功体験、失敗体験両方共お話出来るというのはかなり強みなのではないかと思います。
4-1.アパートからのマイホーム
アパートを契約して頂いた方がどのくらいの年数でマイホームを建てられるかご存知ですか?
何と
平均3.6年です。
つまり大体3年半でアパートからマイホームに移行するという事です。
実際に早い方だと1年弱くらいでマイホームを購入されて出て行かれる方も少なくありません。
特にここ群馬は
家賃=無駄
マイホーム=資産
という考え方が主流です。
僕自身その様に思いますし、賃貸営業を何年やって来てこんな事言うのも何ですが、賃貸に住み続ける事こそ無駄な物は無いと思います。
特に若い世代にその考えは浸透し、昔は借りる事さえ難しかった住宅ローンも今では頭金さえいらない時代です。
あまり住む地域を変えたがらない人は特に家を建てないメリットが無いと言えます。
4-2.kadodeliving始動
不動産業を4年続けたある日取締役である瀨津がこんな事を言いました
「自分は賃貸業だけで無くもっと深い分野でお客様に関わっていきたいです」
と
建築業以外にも候補はありましたが、やはり賃貸業とも関わりが有り、その上でもっと僕らが関わったお客様のお役に立てる事は何だろう
そんな事を考え続け、検討を重ねた結果、新築注文住宅の分野でもっと多くのお客様の役に立てるよう頑張ろう!という結論に至りました。
僕はマイホームを建てましたが失敗したという経験を話す事が出来ます。
その失敗の経験値って成功体験を話すよりも様々な方々のお役に立てると思っています。
それも「リビングイン階段にしたら音響も考えないといけない」というかなり具体的な内容を人に伝える事が出来ます。
もちろん自分の成功体験や僕の友人の多くも家を建てているので、その成功体験もお伝えする事が出来ます。
建築基準が厳しくなってきた今の時代、そもそも性能の悪い家を作る事がかなり難しくなってきています。
テレビの性能の違いに殆どの方が気づかない様に
洗濯機の性能の違いに殆どの方が気にしない様に
冷蔵庫の性能の違いに殆どの方が分からない様に
自家用車の性能の違いに殆どの方が興味が無い様に
「性能」では無くその商品の価値が自分の人生にどんな「影響」を与えてくれるのか
人々の関心があるのは全てこの点なんです。
性能が良いのは「当たり前」で
その家を手に入れる事でどんな未来が「得られる」のか
ここが重要なのです。
だからこそ、こんな家を作ったらこんな失敗体験をしてしまったという情報は
次の家を作るときに同じ失敗をしない為に必要なのです。
僕は自分の家の失敗体験もお客様や友人の家の失敗体験も全てお客様にお伝え致します。
それは何千万も投資して作った家の貴重な経験値なのです。
失敗の経験値あなたの家づくりに必ずお役に立てると僕は確信しています。
だからこそ僕がご提案する家は「同じ失敗」をしない家であり、「家族の快適に過ごす未来が見える家」なのです。
そんな僕らが立ち上げたのが「kadodeliving」です。
kadoeの意味は門出から取ったものであり門出とは人生の転機を意味します。
kadodelivingをご利用頂く方の全ての人生の転機となり、皆様が今後過ごす人生の良い転機となる事を願い、この名前を付けました。
4-3.kadodelivingは何よりも楽しく仕事を致します
僕らkadodelivingは何よりも自分達が楽しく仕事ができる様に仕組みを作っています。
なぜ自分達が楽しく仕事をする必要があるのか
それは何よりも人間の持ちうる潜在能力を最大限に引き出す為にあります。
思い出して頂きたいのですが、「勉強しろ」と言われて勉強して楽しかった経験はありますか?
恐らくですが殆どの方が「楽しくない」という回答が殆どかと思います。
楽しくない状態で勉強して果たしてすんなり頭に情報が入ってきましたか?
楽しくない状態で勉強してそれが何時間も継続する事ができましたか?
答えは「NO」ですよね?
逆に言えば楽しく「ゲーム」をしたり「スポーツ」をしたり「読書」をする時は
寝食を忘れ、継続という感覚無く続けられたり、頭に情報が違和感無く入ってきたと思います。
僕はこの状態で「仕事」が出来る状態こそ最強の状態だと思っています。
そしてこの状態になる事がお客様にとって最も価値ある提案が出来るものだと思っています。
そして楽しい状態になれば自然と笑顔になりますし、お客様も一緒に楽しい気分になれると思っているのです。
ですのでkadodelivingは家作りを楽しんで頂きたいのです。
一生に1度と言われる「家作り」楽しまないのは損だと思いませんか?
僕らと一緒に「楽しく」家を作っていきましょう!